「他人に変わって欲しい」「(無意識に)他人をコントロールしたい」と思うとき。
そんなときって大抵、自分自身の問題を人のせいにしてしまっている。
「社員がもっと率先して考えて行動するようになってくれたら良いのに。俺はいつも社員のことを考えてやってるのに中々動いてくれないんだよね。社員教育が必要だ。」
「これだけ頑張っているのに、全然給料を上げてくれない。社長にはもっと社員のことを考えてもらわないと。」
「いつまでたっても生活が良くならない。政府に一刻も早く国を良くしてもらわなければならない。」
人のせいにすれば考えなくて済むし、自分と向き合わなくて済む、責任を取らなくても良い。
でも、残念ながら人のせいにしても何も解決しない。
残念ながら他者は変えられない。
何故ならば自分の人生は外側にあるのではなく、
内側で起こっていることなのだから。
同じグループで会話をしていても「楽しいな」と思う人もいれば「全然つまんない」と思う人もいる。
同じ場所に行っても「とっても良いところだね」と言う人と「最悪やなココ」と言う人もいる。
同じ人を見ても「あの人こんなことやって凄いよね」と言う人と「あの人もっとこうした方が良いんとちゃう?」と言う人がいる。
人間の人生は「どんな現実を体験しているか?」ではなく、
「体験している現実を自分がどう捉えているか?」で違ってくる。
だから自分の人生は外側ではなく内側にあるのである。
内側には何があるのか?
「これは楽しい」「これはつまんない」
「これは良い」「これは最悪」
「これって凄い」「これはこうすべきやろ」
そのような自分の価値観がある。
自分がどんな価値観を持っているかで見える現実が違ってくる。
だから自分の人生を知ろうと思ったら、自分の持っている価値観を知る必要がある。
自分の価値観には自分の大切にしていることがある。
私は以前、接客態度が悪い店員が許せなかった。
今では「悪いことしたな」と反省しているが、ウエイトレスに怒鳴ってしまったこともある。
怒鳴られたウエイトレスは、ムスッとしているし、
家族には「そんなに怒らんでも良いやん!」と言われ、
怒鳴った自分自身も「最悪やな」と自己嫌悪してしまっている。
そんなことの繰り返しをしていると、
本来楽しい時間であるはずなのにどんどん気分が悪くなる。
怒っている自分もどんどんキライになってしまう。
でも、ある時、その怒りには大切な想いがあることを知った。
そこには『人は大切にしなければならない』という自分の価値観があった。
言い換えると自分の中に『人を大切にしたい』という愛情があるということがわかった。
その自分の価値観に反することが見えたときに、
自分の内側から怒りが出てくるのだ。
『自分の中の愛情を踏みにじられた』悲しみからくる怒りであった。
キライだった部分がそうではなくなった瞬間だった。
そして、「それは誰の価値観?」と自分の中から声が聞こえた。
「自分の価値観だ!」
だから『人を大切にしたい』は自分が思ってすれば良いことで、
他人が『人を大切にしたい』かどうかは、どうでも良いことだと思った。
そうするとそれ以降、店員の接客態度に反応することはなくなったのだ。
怒鳴る必要がなくなった、他者を変えようとする必要がなくなったのである。
店員の接客態度を改めさせようとする行為は『他者を変えようとすること』『外側に働きかけること』である。
それでは問題が解決されないばかりか、自分自身を傷つけてしまうことになる。
人生をハッピーにしようと思ったら、外側ではなく、
自分の内側と向き合いたいと思う。